FUJITSU UT
柳田 仁
PROFILE
9歳の頃からコンピュータを遊び道具に、プログラミングをはじめる。専門学校を卒業後にエンジニアのキャリアをスタートさせ、以来数々のビッグプロジェクトの立ち上げや開発に携わる。趣味はバイクに乗ること。
エンジニアという仕事が、天職だったのだと思います。
もう40年も昔の話になりますが、私が小学生の頃、世間はちょうどコンピュータの黎明期でした。新しい物好きだった父親から譲り受けたパソコンで、毎日のように遊んでいたのです。たしか、スクリーンの四角い枠の中から人間を脱出させられるとクリア、というようなゲームを、夢中でつくっていました。その頃から「将来の夢」の欄には、プログラマーと書いていたと思います。
以来、思えばずいぶん長いこと、この世界にいます。いくつかの会社を経験する中で、日本初のECサイトの立ち上げや、行政の検索システムを構築する100億円規模のプロジェクト、携帯会社のネットワークを使った全国の自動販売機の認証システムの開発など、振り返ってみれば、どれも何時間でも話せるような仕事を任せてもらいました。
実は一度だけ、社会に出て間もない23歳のときに、父親の体調悪化が原因で家業の建設会社を継ぎ、4年ほど代表取締役として会社を経営していた時期があったのですが、世間知らずで土木の知識もなく、苦しいことばかり。色々と悩んだあげく、会社は当時実質ナンバー2だった方にお願いして、自分は再びプログラミングの世界に戻ることにしたのです。おかげで会社は今も堅調ですし、今考えてもあの選択は間違っていなかったと思います。
プロジェクトも人も、一辺倒では動かない。
ともに働く仲間に恵まれたことも、私のキャリアによい影響を与えてくれました。UTにグループインする以前の会社には20年前から勤めていましたが、風通しのよい、なにか問題が起きたときの報連相がしっかりとしている会社でした。仕事とは、人間関係の安心感があるから全力投球できるものです。UTグループの一員になると聞いたときは戸惑いましたが、働いてみれば人とのコミュニケーションを大切にする会社で、マネージャーとの普段の会話も多く、フランクな間柄を築くことができました。私が仕事先で新しい案件を受注するとなれば、プレゼンの場に呼んでもないのに同席してくれます(笑)
一見、専門性が重視されるこの仕事でも、私は調整能力がすべてだと思っています。そこには若い頃の経営者としての苦い経験も生きているかもしれません。システムエンジニアというのは真面目な人が多いですから、仕事はあくまで真剣に、時には飲み会に連れて行っていったりしながら、緩急をつけて人間関係を築いていくのです。いつも真面目一辺倒ではだめで、ユーモアや優しさがあるから、人と打ち解けることができる。私はこれからも、そんな風にして仕事と人に関わっていくのだと思います。