UTパートナーズ
平井夏樹
PROFILE
小学校から高校まではサッカーに熱中。中学生時代は鹿島アントラーズつくばジュニアユースでキーパーとして活躍。高校卒業後、お笑いタレント養成所を経て、漫才コンビ「キングビスケット」として7年間活動。2022年、UTパートナーズ(当時・ビーネックスパートナーズ)入社。
やってみよう。できなかったら考えればいい。
私は今、製造・物流業のお客様と求職者のマッチングや、就業したスタッフさんの管理を担当しています。担当するエリアは、印刷工場、部品の物流倉庫、化学系メーカーの工場などがある地域です。新規開拓で取引先の企業さまを増やしながら、働くスタッフさんの相談にのったり、困りごとがあればフォローしたりしています。
外国籍の求職者の方から「友人と二人で一緒に働ける会社がないか」という相談をいただいたときは、それを叶えられる企業を新規開拓するところから始めて、お二人同時の派遣を実現できたこともあります。ご要望に合う仕事場を僕が掘り起こして、お互いを出会わせることができたのは嬉しかったです。
仕事のモットーは「まず、やってみる」。やってみて、できたら喜べばいいし、できなかったらなぜできなかったのだろうと、そのとき考えればいい。そして「正直な営業」。まだまだ知識は経験豊富な営業メンバーには敵いません。お客さんに聞かれてわからないことは、わかっているふりをせず、周りの人に教えてもらってお答えするようにしています。
以前の僕には、スーツといえば漫才衣装でした。今はビジネスの舞台に立つ衣装になりました。入社2年目で、まだまだ一人前ではありませんが、知識をつけて真剣にお話をすれば、取引先であるお客様も私の話をちゃんと聞いてくださるのを感じることができて、仕事が面白くなってきました。人に笑ってもらうために、常に相手のことを考えてきた経験は、今の仕事に生きていると感じます。ときどき、大スベリもしますが!
僕は人に可能性を広げてもらってきたから。
お笑い芸人になったのは、高校のサッカー部で、漫才の相方になる先輩に出会えたおかげ。高校を卒業すると養成所に一緒に通って、コンビを組みました。とにかくいろんな漫才の形を二人で試しました。芸人が地域おこしに協力する企画で、宮城で1年間、相方と一緒に農業に挑戦したこともあります。限界を感じてお笑いは辞めることにしたけれど、芸人としていろいろな経験ができたのは、あの相方がいたからだと思っています。
お笑いから人材業界の仕事に移ったのは、UTパートナーズの治田社長との出会いからです。人の紹介でお会いできた治田社長の熱い話が、芸人を辞めようか迷っている頃の僕にズドンと刺さりました。社会人とは何かも知らない僕に、真正面から話をしてくださった。そしてお笑いの経験しかない僕の話も、馬鹿にせず聞いてくださった。気づけば、その場で「入社させてください」と言っていました。
人と出会って、人に可能性を広げてもらってきた。だったら今度は、僕が人の可能性を広げる手助けができればいいなと思います。「自分がされて嬉しかったことは、次は自分が人にしなさい」というのが、僕の母からの教えなので。
芸人だった自分も、こうしてなんとか新しい仕事ができている。何の根拠もないけど、きっとあなたもできるんじゃないか。まだやったことがなくたって、やってみなければわからない。新しい挑戦をしようとする企業さまや求職者の方とコミュニケーションをして、「できる」ということを伝えていきます。