UTハイテス
小澤恭子
PROFILE
大学卒業後、契約社員として入社。グループ会社への派遣で秘書業務や作番管理、IT管理業務に3年間従事したのちシステム設計グループへ転属。その後2020年に正社員となる。月に一度、家族と映画鑑賞するのが楽しみの1つ。
パソコンに関わる仕事をやれるのか?と悩みました。
今私は、エンジニアとして臨床検査装置のソフトウェア開発をしています。具体的には、病院などで採血した血液を自動で分析し各種成分を測定する装置のプログラムに新しい機能を追加したり、改良するのが私の仕事です。この仕事に至ったきっかけは、15歳の時に家族からおさがりでもらった1台のパソコンでした。はじめはプログラミングのような高度なことではなく、インターネットでの調べ物や、搭載されているトランプのミニゲームで遊んだりする程度です。でもそのうちに、様々なツールをインストールしてみたり、それらを動かす仕組みに興味を持つようになったり‥‥と、どんどんのめり込んでいきました。高校3年生に上がると自然と「もっとパソコンに詳しくなりたい!」と思い、情報工学が学べる大学への進学を決めました。なので、就職するときも知識が活かせる職業に就こうと思っていたんです。
ただ実は、初めからエンジニアとして働き始めたわけではなくて。私が就職活動をしていた頃は、希望する職種のある会社に30社や40社応募し、面接するなどということが当たり前の時代。そして今と違って“エンジニア”や“プログラマー”という職業の世間的な知名度や人気もあまりなかったんですよね。不採用の連絡が続いたこともあり、自分は本当に技術系で務めていけるだろうか?という不安に揺さぶられてしまい、自信をなくしてエンジニアとして働くことを諦めました。
不安でも、やってみないと分からないから。
契約社員として秘書業務からスタートした社会人生活ですが、転機が訪れたのは派遣業務に3年間従事した翌年のことでした。これまで所属していたグループとはまた別の場所でエンジニアが欲しいという話が舞い込んできたんです。私はもともと臆病な性格で、自分に自信がなくて。それに、初めの就職活動では諦めてしまった過去もある。だからこの時も一瞬の不安がよぎりました。でも、このままで終わりたくない。思い切って今度こそはチャレンジしてみよう!と現在のシステム設計グループへ転属することを決めました。
最初は迷いながらも飛び込んだ世界。7年続けた今、この仕事は自分に向いているなと自信を持って言えます。プログラムは1年ごとに新しい技術が生まれるくらい目まぐるしく進化しますし、日々目の前にする仕事は難しいことばかり。でも、自分が打ち込んだコードがきちんと揃って正しく動き、日本を超えて世界でも役立っていると思うと嬉しいですし、やりがいを感じますよね。
あの日、勇気を出して挑戦することができたから、今こうして天職だと思える仕事ができている。怖がらずにやってみたことで、良い未来が待っていました。